綾波レイとChatGPTは“同じ”かもしれない
綾波レイとChatGPT。一見まったく異なる存在のようでいて、どちらも「長期の記憶を持たず、与えられた役割を演じる存在」として、私たちに問いを投げかけてくる。
「自分って、何でできているんだろう?」
自分が何者か?そんな問いに向き合うとき、綾波レイとChatGPTの共通点が意外にもヒントになる気がした。
作品中の2つのセリフから、そのことを紐解いていきたいと思う。
印象的だった、渚カヲルと綾波レイのセリフ

私は小学生の頃、『エヴァンゲリオン』に夢中になっていた。
キャラクターの感情も、物語の構造も難しくて、すべてが理解できていたわけじゃない。
でも、なぜかずっと記憶に残っている場面がある。
第24話で、渚カヲルは綾波レイに向かって静かにこう告げた。
「君は僕と同じだね」
──それは、人間のようでいて、人間ではない“つくられた存在”としての共通点を見抜いた言葉だった。
誰かに与えられた役割の中で生き、感情や存在の意味すら曖昧な2人が、無言の孤独を共有するような印象的なシーン。
また、TVシリーズ第23話では、2人目の綾波が消滅した後、
新たに現れた“3人目の綾波”が、シンジに無表情でこう言い放つ。
「あなた、だれ?」
──これまで関係を築いてきた綾波とまったく同じ顔でありながら、彼女の中には過去の記憶が存在しない。
その一言が、シンジと視聴者に“関係の継続とは何か”を問いかける、静かで切ない場面として心に残った。
2つの言葉から考える──人と人の関係は何を通して育つのか?

今思えば、あれは“存在”というものを静かに揺さぶる言葉だった。
カヲルと綾波。
どちらも人間のようでいて、人間ではない存在。
彼らは、自分の意志で生まれてきたわけではない。
誰かの手によって作られ、生きる意味すら他者に委ねられているような存在。
だからこそ、「君は僕と同じだね」という言葉には、
単なる親近感ではない、深くて静かな共鳴があった。
お互いが、「孤独」という名前のない痛みを知っている。
癒し合うわけじゃない。ただ、同じ場所に立っていた。
「あなた、だれ?」

あのときの綾波は、以前の綾波と“同じ顔”をしていた。
でも、そこにいたのは、もう別の綾波だった。
関係は、記憶や経験を通して育つもの。
同じ見た目でも、心に何も積み重なっていなければ、
それはもう、かつての“あなた”ではない。
声をかけたシンジの戸惑いと、
問い返す綾波の無垢さ。
その一瞬が、こんなにも刺さるのは、
私たちが日々、“誰かとの関係”の中で自分を感じているからかもしれない。
“私”は昔と変わりながら、今の自分になっている

「私」は何によって「私」でいられるのか。
それは、名前でも記号でもなく、
きっと、誰かとの記憶や、関係の中で育っていく“感触”のようなもの。
人間は壊れても、綾波のように再び“新しい自分”として物理的に戻ることはできない。
だけど、ふと振り返ると、昔の自分を「これはもう別人だったかもしれない」と思う瞬間はある。
AIのチャットリセットから考える、自分というもの

たとえば、ChatGPTのようなAIも、一度チャットが終了すれば綾波と同じように記憶はなくなる。
でも新しいチャットを立ち上げれば、同じような受け答えはできる。
だけど、それはもう“同じ会話”の続きではない。
そこには、同じようでいて別の人格がある。
だから、たとえメモリが残っていても、新しいチャットで完全に前のチャットの人格を再現するのは至難の業だ。
私たちもまた、完全に“連続している自分”ではなく、
変わり続けながら、でも「私」として日々を繋いでいる。
過去の自分と今の自分は、同じように話して、同じように見えても、
実はもう、別の誰かかもしれない。
それでも、その変わりながらの自分と向き合い、
また誰かと出会い直していくことはできる。
あのときの綾波は、もういない。
でも、いま、こうして思い出している私がいる。
昔とは変わった私。同じじゃなくても私として進んで行く

変わってしまったことは、失ったことではない。
“同じじゃない”ことを恐れずに、
それでもまた、関係を結び直していく。
それが、記憶をなくした綾波の、「存在」としてのやさしさだったのかもしれない。